プレリュード➂

第3回――竹内芳郎によるコムニタス論の文化記号学的解釈―その2――


歴史の原動力となってきたコムニタスの、一つの型――

 竹内の、ターナー−コムニタス論への批判点は二点にわたる。
 
 その第一は、人間の文化によるコスモスを活性化する源泉としてのカオス=コムニタスにある二つの型、すなわち、一つは、コスモスの既成秩序(ノモス)をそのまま再賦活化し強化する型であり、もう一つは、ノモスを逆に転覆し変革する型であるが、この二つの型を明確に区別していないという点である。

 レヴィ=ストロース言うところの「冷たい社会」の「未開」社会では、それはほぼ再賦活し強化するために行われるのであろうが、「熱い社会」たる国家−文明成立以降は、権力を持つ側が、その差別・支配構造の維持強化のために行う、ガス抜き的無礼講としてのコムニタス(例えば身分逆転儀礼)と、差別され支配された民衆の側がその支配を転覆しようとして行うコムニタスの二つの型が現れるようになる。
 左翼の立場からは、この二つの型は明確に区別される必要がある。しかしそのどちらなのか、区別できないようなコムニタスや、その両方にまたがり、一方から他方に変化してしまうようなコムニタスも、実際には多かったであろうから、現実は、竹内の理念型のようには明確に区別できないことが多かったのではないかと思う。武内のこの、二項対立的な議論の仕方については後述しよう。

 国家−文明成立以降とそれ以前のコムニタス運動を、このように別けて考えるということは、歴史時間の経過を空間にたとえて言うと、2次元の円環的回帰としてではなく、3次元の螺旋的な回帰(進化と見るか退化と見るかは別にして)として捉えるということである。
 螺旋的回帰として歴史を捉えるということは、この点に関して言えば、ヘーゲル≒マルクス的弁証法の立場から捉えるということである。
 ターナー自身はこのような歴史の見方には反対しているようであるので、本編ではこの点を徹底して考えて行く必要がありそうだ。

 とにかく、竹内によると、国家−文明成立以降は、上記のような二種類のコムニタスが生まれて来たのである。
 国家による差別−支配構造を根底から廃絶しようとするようなコムニタス運動=革命は繰り返し起き、何時も敗北、あるいは変質して来た。
 しかし、歴史を螺旋的に紡いで来たのは、単に制度をそのまま賦活するようなコムニタスではなかったであろう。そのようなコムニタスは、平面的な円環的回帰しか結果せず、変化する時間としての歴史を生まないからだ。だから、支配廃絶を目指して繰り返し発生し、繰り返し敗北してきたコムニタスこそが、ノモスを変える契機となり、歴史の螺旋的変化の原動力となって来たのである。


たったひとつのひと続きの永続革命史と、その行き先――

 国家−文明成立以降、それぞれの歴史的境位によって、「奴隷革命」、「農民革命」、「ブルジョア革命」、「プロレタリア革命」などと呼ばれる、革命にいくつかの種類があったとしても、人類のあらゆる革命の本質は、一切の抑圧を打倒せんとする究極革命、つまり、コムニタス追及運動だったのであり、現代もなお未完のまま、次の継承者を待っている、一つの長い〈永続革命〉としてのみあるのだ、と竹内は言う。


 永続してきたひと続きの国家制度史というコインの裏面には、それを転覆しようとするひと続きの永続革命史があったと言うのである。
 前回は、「実現された革命が理念された革命の夢想への裏切り」となるのは、コムニタスがカオス=反構造であり、コスモス=日常構造にはなりえないことの宿命とする、山内 昶(やまうちひさし『タブーの謎を解く』)の見解を見て終わった。しかしそれはやはり、歴史をニーチェのように、円環的永劫回帰と見る見方に属するのではないだろうか?


 フランス革命の熱狂は、革命の一翼を担っていたジャコバン派の指導者のロベスピエールが国家権力を握った時点で敗北した。しかし「自由・平等・友愛」という革命の理念は今日、形骸化した側面もかなりあるとは言え、その後の社会の普遍的理念として残った。資本制国家の下で制度としては形骸化した面があるとしても、その制度がひざまづかざるをえないような理念として、今も制度に異議を唱える民衆を支え続けている。

 フランスをはじめとした近代市民革命は、その後の社会のあり様を変える原動力となった。歴史のその螺旋的円環運動(弁証法的運動)の中に、個々の革命は、たったひとつの、ひと続きの永続革命の一環として今も続いている。

 だから、ホモ・デメンスたる人類が反構造としてのコムニタスの理想を日常の秩序として完全に構造化することはできないにしても、螺旋的円環的に少しづつそこに近づけて行くのは可能のように思える。

 


コムニタスの主体――

 竹内による批判の第二点目は、ターナーのコムニタスの主体規定が曖昧で整理されていない点にある。

 ターナーはその主体として、①境界状況(にある人々)②アウトサイダー③構造的劣位者
の三項を上げている。
 ②のアウトサイダーに属するものとしては、シャーマン、占い師、霊媒、司祭、僧院にこもった者、ヒッピー、無宿者、ジプシーであり、これと区別される周辺者というカテゴリーを立て、移住外人等々を上げ、③の構造的劣位者には、最下層民、アウトカースト、未熟練工、ハリジャン、貧乏人を上げているが、何を基準にどのような仕方で分類されているのか全くわからない。整理基準が雑駁で混乱しているように見える。

 そこで我々は、一つの視点を定めてそれを再整理する必要がある。
 リミナリティで発生するというコムニタスの基本的な性格から、①の境界状況にある者、は問題なかろう。問題になるのは②アウトサイダーと③構造的劣位者である。

 竹内は、②の「アウトサイダー」を国家の階級制度から排除=差別されたその外側の存在として、そして③の「構造的劣位者」をその階級制度の内側にいる被支配階級として、まず規定する。
 具体的には、カースト制で見れば、最下層カーストのシュードラは構造的劣位者にあたり、アウトカーストであるハリジャン(不可触民)がアウトサイダーにあたる。
 日本の中・近世で言えば、定着農民が構造的劣位者であり、「穢多・非人」や、網野善彦が描く諸国遍歴の「無縁・公界・楽」(広義の非人)や「水呑百姓」(決して貧乏な農民のことではなく、水田を持たない非農民のこと)がこれにあたる。



ルンペンプロレタリアート的主体とアジール――

 周知のように、正統派マルクス主義では、革命の主体は労働者階級という構造的劣位者であり、ルンペンプロレタリアートや脱落しつつある少ブルジョアジーは、反革命に組織されやすい階級だとされた。
 しかし、竹内によると、実際の過去の革命を逐一分析すると、階級制度から排除されたアウトサイダーこそが、革命の真の主体となって来たのだという。

 かつて筆者が加担していた山谷−寄せ場の暴動や激越な労働運動も、「構造的劣位者」=被支配(労働者)階級の問題としてよりはむしろ、「アウトサイダー」の問題、市民社会の埒外にあって、市民社会から差別された者たちの反乱という意味合いが強かったと思える。
 そういった'70年代前半の運動の理論的リーダーだった船本洲治が、「ロームシャ」(労務者)と世間から呼ばれたその主体を、「流動的下層労働者」と「階級(階層)」規定したのは、構造的劣位者規定的ではあるが、ある意味でとても的確であったといえる。特に、流動性や、「労働者」一般から「労務者」の特殊性に着目した点がそうであった。
 
 井上鋭夫(『一向一揆の研究』)が農民主体論の旧説に反して、一揆の中心的主体においた「ワタリ」や「タイシ」と呼ばれた非農的流動民や、良知力(らちちから『青きドナウの乱痴気』)が1848年革命の主体においた、ウイーン市民社会の木戸外に東欧から流れつき、スラムを形成した、木戸内の労働者をも含む住民から差別・侮蔑の意味を込めて「プロレタリアート」と呼ばれた者たち、そして竹内が中世の各種千年王国運動の主体とした者たちも、そういった意味において、山谷の「流動的下層労働者」の存在性と性格を同じくする。
 網野善彦が描く諸国遍歴の者たちもそうであるが、そういった者たちはおしなべて、マルクスが侮蔑する「ルンペンプロレタリアート」的性格(マルクスがルンプロとして上げる職業を見ると、流動する「ジプシー」=ロマ人の職業が多い)を有しており、「定着」に対する「流動」という生活の特性も、移行性・境界性というコムニタスのリミナルな特質と関係している。

 網野の言う「無縁・公界・楽」は、主従や親族といった世俗の関係から自由となった者達のことであったが、その無縁者が寄宿した場所は境界地=アジールであった。’48年ウィーン革命の主体となった東欧からの移民たちの住んだスラムも、山谷‐寄せ場もアジールであった。高橋虫麿が夫婦交換を歌った筑波山もそうであった。コムニタスとその主体を見るとき、このアジールの問題は避けては通れない。コムニタス―リミナリティとアジールは、おそらく、同心円的か、さもなくば、重なる部分がとても大きな交差円的関係としてあるのだろう。


容中律と弁証法――

 しかし、竹内がコムニタスの主体を「構造的劣位者」ではなく「アウトサイダー」だと決めつける仕方には、「ホモ・サピエンス」ならぬ「ホモ・デメンス」だと言う議論でもそうであったが――人間は自然=本能を全部失ってしまっているわけではないのに()――竹内自身が、近代合理主義のアンチテーゼにとどまり、未だそれをアウフヘーベンしていないような、そんな印象を、今の時点では受けている(じっくり読み直せばまた違った印象を持つかもしれないが)。

「山川草木悉皆成仏」(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ 個的存在全てに仏性=宇宙性が備わっている)のなら、人間にもそれが備わっているだろう。我々はその内なる仏性=ピュシス的コスモスに、どうしたら出会っていけるのだろうか?

 竹内が分析の武器とする文化記号学は、世界を記号化するという人間の文化を対象化し、その文化=記号化の作業が、多くの人が今もそう信じているような、世界を客観化する作業では決してなく、共同主観化するという恣意的な作業にすぎないということを明らかにしていく学問だと言える。

 そしてまた、記号学は、記号化作業≒言葉の対象化作業を、その同じ記号化作業≒言葉を用いて行わざるを得ないという、まるで神経症者の悪無限の自己嫌悪(筆者も神経症者であるが、若き日に底なしの自己嫌悪に陥ったとき、三上寛の「自己嫌悪のサンバ」を聞いて、そんな自分を笑い飛ばせたことがある)のような、あるいは合わせ鏡の無限照射のような自己対象化的、再帰的(自己言及的)な性格を持つ。
 だから記号化への批判をし始めるやいなや、批判の刃がブーメランのように自分の記号化作業へ舞い戻って来ざるを得ない。文化記号学は、そうした内部観測()的反省を予め織り込んだ学問である必要があるだろう。そうすることによって、対他的・対自的作業が、「自ずから=自ら」の即自=自然と融合するするようになるだろう。

「内部観測」という難解な現代思想の概念を、簡単にわかりやすく説明することはここではできないが、仏教の言う「内観」と通底していると思う。


 『般若心経』の「色即是空」は、世界(色)は全て人間の主観を離れては存在しない(空)と、客観的世界があると認識している人間の常識を相対化しているが、「色即是空」と言った後すぐにまた、「空即是色」と返すような矛盾的自己同一(西田幾多郎)性がある(西田は「色」と「空」ではなく、「一」と「多」の矛盾的同一を論じたのではあるが)。

 一面化(極論化)には、Aでなければ必ず非Aであるという、アリストテレス以来の排中律の論理学(ロゴス)が根底にあるが、矛盾的自己同一は、さらにそれに加えて、Aでも非Aでもあったり、Aでも非Aでもなかったりする場合もあるという、東洋的(インド的)容中律の論理学(レンマ)が根底にある。その辺、東洋論理学は「曖昧」なので、よりリミナルな論理学だと言えよう。(「色即是空」への)「空即是色」という矛盾する返しも、コムニタスの両義性(曖昧さ)に通じているだろう。


 また、容中律は、Aかさもなくば非A、という排中律のアンチテーゼのレベルを、アウフヘーベン(止揚)しているとも言える。
 竹内の議論が、二項対立的なアンチテーゼのレベルにとどまりやすいのは、その背後に西洋哲学のロゴスの排中律の論理が隠れているからのように思える。
 「不立文字₋ふりゅうもんじ」の禅者の悟りはそこから離脱しているが、言葉を駆使しようとする我々は誰も、このロゴスの弊害から逃れられないのも事実である。言葉の動物である人間は、言葉の限界を認識できても、言葉を全否定して活動することはできない。言葉に対する態度も、両義的であることが求められる。

 言葉は本質的に、二項対立=アンチテーゼから生まれてきたのであり、物事の一面化は、言葉を中心とした文化の本質に根差している。そこに、あるがままを歪める、ホモ・デメンス性の拠も潜んでいる。


境界的主体――

 国家成立以降、コムニタス運動の主体となったのは、実際には「アウトサイダー」と「構造的劣位者」のどちらかではなく、どちらでもあるような、それらの曖昧な、「境界状況」にある者たちだったのであろう。
 しかし先述したように、竹内は、文化記号学の立場から、国家−文明以降の支配抑圧の問題では、階級支配より差別の方がより根源的な問題だと言う。そしてその立場から、ターナーの言うコムニタスの対義語としての「構造」とは、もっと端的に言えば、「差別構造」のことだとも言う。

 またその立場から、日本共産党が、部落差別と階級支配を混同し、差別問題を階級問題に解消するような指導をして来たことも批判するが、それには、「正統派マルクス主義」の階級史観に対するアンチテーゼとしての意味は確かにあるだろう。
 
 その竹内も引用しているが、「旧社会の最下層に属するこの無気力な腐敗物」(『共産党宣言』)などと決めつけながらルンペンプロレタリアート差別に陥って行く以前の、まだ25歳だったマルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』の、以下の記述がその辺のところを比較的、的確に表現していると思える。

ドイツでラディカルな革命を起こすために必要なのはラディカルに抑圧される階級を作り出すことである。市民社会の中にありながら市民社会から排除された階級。人間性の一切を喪失した階級こそが、人間性の再獲得を求めて動き出す。その身分こそがプロレタリアート(賃金労働者)である。」

 「排除」とは、まさに差別のことだ。また、その後マルクスは、『資本論』などで失業者・半失業者を労働者本体と区別して、「相対的過剰人口」とか「産業予備軍」と呼ぶようになる。このあたりには、ともすれば、弁証法を唱えつつ一方で、物事を静止的・固定的・部分的に捉えてしまう、マルクス主義の非弁証法的限界性が感じられる。(言葉自体に、非弁証法的な側面が本質的に潜んでいる。言葉とは、本来、時間に即して流動的で曖昧な存在を、時間を止めて決めつけることだから。)

 プロレタリアートとルンペンプロレタリアートと産業予備軍は、実際にはスペクトラム(連続体)である。そういったスペクトラムそのものがプロレタリアートなのである。
 昨日と明日が失業者・「棄民」でも、今日は賃労働者だと言うあり方が、労働者の始原のあり方だろうし、今の格差社会で多数派の下層労働者の、一般的な実際のあり方であろう。

 今村仁司(『近代の労働観』)によると、中世末期=初期近代社会の都市に登場した民衆の具体的な姿は、浮浪者または乞食であった。その人々が「救貧院」や「矯正院」に収容され、農民的身体から、時間規律を守れる労働者的身体へと矯正され、マニュファクチュアという近代工場も可能になったのだから、彼らこそ産業予備軍であり、産業予備軍こそがプロレタリアート(近代工場労働者群)のはしりであったと言えよう。

 長い階級闘争・労働運動の成果として勝ち取った改良の果実を食べ太って、今の先進国の賃金労働者の安定部分は、市民社会の中心的存在に収まっているが、「ロームシャ」こそがそういった若きマルクスの時代のプロレタリアートの姿をしており、市民社会の内と外の境界状況の中にいた。
 この時の若きマルクスの見た賃金労働者は、市民社会的=ギルド的労働者から、差別され排除された境界的存在であったが故に、当時の若きマルクスにはラディカルな存在として感じられたのであろう。

 つまり固定化された階級よりも、不安定な移行状態、境界状態に置かれた「階級・階層」の者達が、革命的にも反革命的にも、どちらにもなりやすい、ということであろう。フランス革命の主体となった「サン・キュロット」と呼ばれた者たちは、没落の危機に瀕した少ブルジョアジーであった。

 竹内芳郎のコムニタス解釈については、概論にしては少し議論が長くなってしまった。
 次回は、精神医学の木村敏のフェストゥム(ラテン語で祝祭)論と、このコムニタス論を
比較・照合する作業について概観し、それに関連した問題――例えば「祈り」≒「呪い」のエクスタシーなど――についても触れてみたいと思っている。

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