●西田「無の場所」と自己観察の「無」

●西田「無の場所」と自己観察の「無」――

 苦手な数学との格闘は基礎がないのでちょいとシンドい。でもそのシンドさとの格闘こそが主体の飛躍を生むと、前項の末尾に書いた。全球凍結の後に「カンブリア爆発」という生命の種の大爆発がうまれたように。革命が危機によって引き起こされるように。予想より難しい問題に出会ってなかなかすっきり解けず、長くモヤモヤを抱えたままで、あれこれ模索する時ほど、その後、その解が、自分の中で大きな意味を持つものになり、それが大きな快感に繋がることを、これまで何回も経験してきた。西田幾多郎の論理との格闘も、それと同じようなシンドさとそのモヤモヤが生まれる。でも、そのモヤモヤが解けたと思った時の快感といったら!だからこの頃は、そういったモヤモヤが来たときは、「あっ、来たな」と、本当なら気分の良くないモヤモヤを、むしろ歓迎する気持ちが芽生え始めてきている。


 西田の文が難解なのは、「〜でなくてはならぬ」などの肩苦しい「ベキ・ネバ」文体や、極めて思弁的なばかりで具体例の少ない錯綜した論理展開など、色々な原因が考えられると思うが、通常の文章とは違い、主語の「主体」性が不分明なことが多いのが一番大きな原因のようだ。
 つまり、その文章を書いている西田の「主体」性が、書かれる文章の論理の「客体」性の中に「埋没」してしまっていることが多いということ。論理を展開しているのは西田なのに、そう書かないで、論理自体がひとりでに論理を展開しているように書かれたり、論理に限らず、人間(西田)という「主体」的行為としての観察をを経ずして、「客体」が勝手に運動しながら己を観察しているとしか思えないような言説が多いように感じられる。そういった論理展開は、本人よって「場所の論理」だと自覚されて書かれているのだが、そこら辺が、慣れないうちはとても意味が捉えにくくなる一番の原因のようだ。普通人の文体は、「主体」となるものが主語となって展開していく。だが彼の場合は、普通では述語となるべき「客体」が、説明抜きで平気に主語になって自己展開しまうことが多い。
 この彼の思考方法は、「知の快楽」サイトさんによると、(自他の境界が曖昧だとされる)統合失調症患者のそれと似ていて、その共通する思考方法が「述語論理」と呼ばれている。西田と統合失調症患者との違いは、それが「述語論理」(➡ ➡ ➡ 「述語論理」については⑵や、第三章でより詳しく検討する予定である)であることを自覚しているかどうかという点にあるという。その自覚があれば、人は、「述語論理」と「主語論理」の間を自由に往還できるようになるが、統合失調症患者の場合、それを自覚できていないことが多い。それで彼は哲学者になれず、潜在的哲学者としての患者に甘んじてしまっている。(直ぐ後で見るように、「自覚」は「場所」がするものなので、患者には、その「場所」が与えられていない、と言うのがより正しい表現になるのかも?)

 この「番外編」のメインタイトルを、今は「自己観察意識の場所」としているが、最初は、位相幾何学図形の「クラインの壺」のイメージから、「自己観察意識の位相」としようと思っていた。でも、「位相」という概念がどうももう一つはっきりつかめなくて、結局、「場所」に変えた。それでもその「場所」は、筆者にとってはまだ、クラインの壺の、内と外がひねられて同一化しているイメージが貼りついたままの「場所」なのである。
 その「場所」は、西田幾多郎の「場所の論理」を意識しての命名であったが、その時点ではまだ「場所の論理」をあんまり理解できておらず(今もそうかもしれないが)、なんとなくそれと自己観察に関係がありそうだと直感していただけのことであった。そしてその後、前項で自己観察意識=0を思いついた時点で、それと「場所の論理」で言う「無の場所」との相似性が気になり始め、少し勉強してみると、なんと!この自己観察の「無」と、西田の「場所の論理」の「無の場所」の「無」に、最初想像していた以上の相同性を見出すことができるようになったと思ったので、その辺を今回説明してみたいと思う。

 西田にとっての「有るもの」とは、言い換えると、この世に存在する全てのものは、孤立して「有るもの」としてではなく、他の「有るもの」との関係(相互作用)で、初めて「有るもの」として存在していると捉えられる。だから、有るものは、「(~)に於いて」有るものであり、その「於いてある」関係性が、彼の言う「場所」である。
 この場所とは、三次元空間にある目に見える場所のことではなく、「有るもの(存在)」の背後にある目には見えない、「有るもの」同士の関係性のことである。
 この辺のことは、彼の思想的バックボーンが仏教思想にあること、特に大乗仏教の縁起思想(縁起=無自性=空)にあることを知れば、仏教思想の知識のある人には分かりやすいだろう。「自性」とは、「有るもの」=個物が、その内部に自律的な本質を持つということだが、大乗仏教ではそれを否定して(「無自性」)、縁起的関係性の方に本質を見出す。
 しかし西田は、そういった仏教用語や概念は一切使わず、西洋哲学に学ぶ中でその中に東洋的な思考を見出し、あくまでも、その用語―概念や、独自に創った用語―概念を使って、仏教思想を西洋哲学的に再構築しようとしたのである。その時代はまだ、哲学と言えば西洋哲学を指す時代で、そういった意味でも西田幾多郎は日本哲学のパイオニアとなった。

 この「有るもの」の、「〜に於いてある」関係=場所にも色々あり、またそれはお互いに無限に重なり合っている。さらにそれは、より特殊な「場所」が、より一般的な「場所」に包まれて(包含あるいは包摂されて)いる。その集合論的包含関係をたどると、その関係はより根本的な包含するものへと向けてどんどん広がって行き、やがてその無限の極限では、「有」を超えた「無」の場所へと行きつく。この無と無限の有とのアクロバティックな同一化の関係については前項の数論で見た。この「有るもの」(存在)は、常に、集合論的な分類として把握されている。それを文の形式に直すと「A(主語)は、B(述語)だ」となり、それを集合論の記号で表記すると、「A⊂B」となる。
 例えば、「この木は松だ」「あの木は杉だ」と言うとき、主語となる特殊で固有な「この木」や「あの木」は、述語となる「松」や「杉」という一般の分類名で呼ばれている。その時、「この木」や「あの木」の固有性(特殊性)は、「松」や「杉」という分類名の一般性に包まれる。
 さらに、「その松や杉は、針葉樹だ」→「針葉樹は植物だ」→「植物は生物だ」→「生物は……」と、集合論的包含関係をどこまでも広げて行くことができるが、その関係の最後の究極の場所では、文は「宇宙は宇宙だ」という同義反復になって、意味を持たない文になってしまう。そこでは文の持つA⊂Bという包含関係の形式も成立しなくなってしまい、「有」が、それを存在せしめる場所そのものになってしまうということは、「有」を「有」たらしめる存在構造であり、成立条件である、「有の場所」そのものが成立しなくなるということである。

 主語なるものが述語で表現されるとき、述語は、具体的な存在としての主語なるものの、一般的・抽象的な性質を表現する。例えば、「この木」は、「松」という分類の木に特有の、(葉が)尖っているとか、(実の)傘が重なっているとか、(幹の)皮が鱗状になっているとかの、葉や果実や幹の性質を共通して持つものの一つなので、それで「松だ」と述語化されるのである。このとき、主語は具体的であり特殊であるが、述語はその一般的・抽象的な性質である。
 次に「(この)松は針葉樹だ」と、その包含関係が拡大されて表現された場合、前の文で述語だった「松」が今度は主語化される。このとき、前の文での述語としての抽象的・一般な性質だったものは、具体的なものとして相対的に特殊化され、「針葉樹」というさらに一般的・抽象的な性質で包含されることになる。

 この主語となるものを、西田は「具体的一般者」と呼ぶ。この主語となるものである「具体的一般者」には、常に「一般者」、つまり、述語となるものであるものの無限定の抽象的・一般的性質が潜在しており、主語となるときは、その述語的潜在的性質が自己限定されることで、具体的なものとし表現されることになる、と言うのである。
 ここら辺が西田の論文の、難解かつ深淵なところである。何故それが「自己限定」なのか?仮に客体であるものの性質は無限(定)だったとしても、それを限定して感じるのは、あるいは限定できるのは、その性質を感じ考える主体である私(たち)人間ではないのか?
 ところが西田にとっては、限定しているのは、私(たち)でも、その対象である、ものやものの性質それ自身でもなく、それらを包む場所なのである。そこには、私(たち)という主体もなく、ものやその性質という客体もないのである。あるいは、ただ主客合一だけ。その主客合一の場所が自己限定するのである。
 主語と述語の包含関係とは、特殊である主語を一般である述語が次々と包含していく関係であるが、逆から見ると、無限(定)な述語性を潜在させている主語が、述語で次々と自己限定して行く関係である。主語と述語の包含関係は一方通行的な関係ではなく、相互通行的的関係なのである。スゴイ発想!正方向はある程度、誰でも気づけるが、その逆方向となるとなかなか気づけるものではないと思う。このことに気づけるのは、元来、西田が統合失調症患者と親和的な性格をしていたからなのかもしれない。
 それは、主語となるものが最初から、無限(定)の述語性を潜在的に包含していたからである。「私」や「山」という主語となるものは、潜在的には「宇宙」である。「山川草木悉皆成仏」(山も草も木もみんな仏性を持っている)のである。山川草木は、宇宙の自己限定である。自我としての「私」や個物としての「もの」は全て、、宇宙(仏性)の自己限定である。

 主語を述語で包含していった先の極地――それは、自己限定としての主語の中に潜在する述語性(「具体的一般者」)の無限定化と同じことである――は、「有」なるもの(存在)の大きさが無限大となり、「有」とそれを産む場所の大きさが等しくなって行くことで、その数は無限に1(0.9999…)に近づき、その近似値となる。
 限定された「私」という主語の、述語性の極地「私は宇宙(仏)だ」では、その「肥大化」した「私」は有って無いようなものになる。何故なら、場所という容器より小さいものであることによって、初めてそれは「有る」と言えるものになるからである。その有るもの自体が、有を有たらしめる容器になってしまえば、もはや、「有」とは言えないものになってしまう。「有の場所」とは、ほかの「有」があってこそ、その対立(対比)の中で初めて「有の場所」と言えるような、相対的な「場所」であって、その対比が無くなると、もはやそこは「個物が集合する場所」では無くなる。「有」とは集合する個物的存在のことである。
 「私」という自己が「有る」と言えるのは、他者という存在が有って初めてそう言えるのであって、他者がいなくなれば、「私」という存在も居無くなる。そこは、均一の世界であるが故の「無の場所」としか言えないものなってしまう。
 1と0の線の間の、小数点の付く数の大きさが無限小(大きさ0の特異点)になることでその数の量が無限大になる場合と同じように、宇宙という場所と自己が同一化して、「1」になってしまう場合にも、無限と無がアクロバティックに同一化する。「宇宙」という容器より小さいことで「私」は「有る」と言えるものであるが、それらの大きさが(ほぼ)同じになってしまえば、「有る」という意味は用をなさ無くなる。しかしこのように対比して考えられる「無」は、まだ相対的な「無」だと西田は言うのである。
 その「無」は、未だ「有」に対立(対比)される「相対的な無」であって、さらにその相対性を包含する絶対的な「無」があり、その場所が「真の無の場所」だと西田は言う。この「真の無の場所」は、「有の場所」と、それを包含するが一方でそれと対立させられている相対的な「無の場所」をも同時に包含する。

 そうした「場所」は、また、主体から独立した客体(客観)的な場所ではなく、自覚の場所でもある。だから、「有の場所」の場所も、「(相対的な)無の場所」も「真の無の場所」も、皆、「自覚」(によって現れる)「場所」であり、しかも、その「自覚」たるものも、西田の場合、先述したように、「私(たち)」という主体が、場所という客体を自覚するというのではなく、主客未分の、場所自体が場所を自覚していくと言う構造になっている。意識作用の一つとしての自覚と言うと、普通には、「私」という自己なり自我なりの自分に対する、主体的な意識の働きだと考えられている。
 しかし西田にとってのそれは主体によって行われるものではなく、「場所」が行う意識作用なのである。自己の自己に対する認識作用が自覚だとすれば、場所こそがその自己だということになる。
 意識―自覚は、私と言う主体ではなく「場所」が行う作用であるから、その見る(知る)という知覚も、「鏡」という、あまり主体的・意志的ではないものに喩えられる。
 分別に囚われず対象をありのままに見るということを「明鏡止水」と言うが、良い鏡は対象を歪ませたり曇らせたりしないでそのまま映し出す。例えば、夜空の月をそのまま映し出す静まった池の水は「明鏡止水」の鏡の喩えとしてこの分別=邪念の無さを表すが、この西田の三段階の場所の図式で言うと、対象を映し出すものだから、未だ「対立的(相対的)な無の場所の意識」と言うことになろう。
 西田は、自覚の鏡の比喩で、
「真の場所は自己の中に自己を映すもの、自己自身を照らす鏡といふ如きものとなる。」
対立的無の場所、即ち単に映す鏡から、真の無の場所、即ち自ら照らす鏡に至ることである。我々が真に知覚作用に生きるという時、我々は真の無の場所に於いてあるのである。」
 この引用の中で「対立的な(相対的な)無の場所」は、「単に映す鏡」であり、「真の(無の)場所」は、「自己自身を照らす鏡」だとされている。
 だから、この「(相対的な)無の場所の意識」は、未だ、対象を自己に映す鏡である。「真の無の場所」にある意識はしかし、もはや「外」(対象)を映す鏡ではなく、「内」(自己)だけを映す鏡となる。つまりそれは、対象を映す鏡をも映す、対象を映す鏡をも包含する鏡である。

 こういった西田の「場所」の議論を追っていくと、ヴィパッサナー瞑想者の「自己観察意識」は、こういった「場所」の中で、「真の無の場所」に属し、もはや「外」(対象)を映す鏡ではなく、「内」(自己)だけを映す鏡となることで、対象を映す鏡をも映す、対象を映す鏡を包含する鏡である意識、だということになる。
 ちなみに、筆者の自己観察の経験では、対象をあるがままに映し出す明鏡が発展して自分をあるがまま映す明鏡になっていくのではなく、逆に、価値判断を一切停止した自己観察(自分をあるがまま映す明鏡)が先ずあって、初めて、反省意識(対象をあるがまま映す明鏡)も手に入れることが出来るようになっていく、という順番があった。
 西田はまた、「この如き鏡は外から持ち来たったのではない、元来その底にあったのである。」「我々が真に知覚作用に生きるという時、我々は真の無の場所に於いてあるのである、鏡と鏡が限りなく重なり合うのである。」とも言うが、前者の鏡が外から来たものではなく、内側の底に元々からあったものだという指摘には深く納得できて、そのことはまた、⑵の「想像力」を考える項で詳しく見て行こうと思っている()が、後者の「鏡と鏡が限りなく重なり合うのである」という点に限っては、前々項「観測と階層(二つの自己)」のところで書いたように、経験上、自己観察は向かい合わせの鏡のような無限後退には陥らない。今、行った自己観察が判断停止の本当の自己観察だったかどうかを確認するための、1~2回の観察の反復はあったとしても()…。
 ということで、多少の違いはあるが、西田の言う「真の無の場所」における「自己の中に自己を映すもの」こそ、価値判断が無の、無としての自己観察に当てはまると思ったのである。
 そこにはしかし、西田の「無の場所」の「無」が「(主語)Aは(述語)Bである」という価値判断の極地に現れる、どちらかと言うと存在論的な「無」であるのに対して、筆者が言う自己観察の「無」が、その価値判断自体を停止するという認識論的な「無」であるという微妙な違いがある。その違い、つまり、存在論か認識論かという問題も、主体も客体も包み込む無の場所の中では、全く意味をなさなくなり、同一になるのである。

 自己観察は、私がやっているが、それ故、私がやっているのではない。場所がやっているのだ。「私」とは「場所」のことだから。

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