第2回――竹内芳郎によるコムニタス論の文化記号学的解釈―その1――
⚫コムニタスとしての近代革命――
ターナーは、中世ヨーロッパの革命運動だった千年王国運動や、現代の若者の反規範的生き方であるヒッピーまでもコムニタスとして挙げていながら、コムニタス現象として筆者には最も重要と思える、近・現代の一連の革命運動への言及がほとんどない。(この辺はもう一度ちゃんと読み返して見ないと確かなことは言えないが…)
いくら左翼に素人だとは言え、現代の文化人類学者が一連の近代革命をコムニタスの対象として触れないということは、何か意識的に避けられていることのようにさえ思える。筆者などは自分の左翼経験から、左翼世界の党派的で狭量な、地獄のような論争で溺れないためだったのだろうかとさえ想像する。左翼間の論争は、学者間の論争とは比べものにならないほどシビアだから。でも、その後結局は多くの人たちが、コムニタスを、フランス革命以降の近代の革命運動と関連付けて言及するに至っている。
しかし、左翼の実際の運動の側からの、コムニタスと革命の関係についての言及はあまりないようだ。革命をコムニタスだとしてしまえば、革命や、それが目指す共産主義・社会主義社会が、移行期の境界現象でしかないとされ、未来の日常としては実現不可能とされてしまいかねないからであろう。
左翼のコミュにズムの原点には、キリスト教の「終末における救済」の思想――弥勒思想にも通ずる――があるので、勝利への確信は、歴史の終末の永遠の未来へと先延ばしされて行くので、敗北に本質的に傷つくことはない。そんなコミュニズムをコムニタス論は、高みから冷笑するようなところがある。
そんな中で、左翼の旗色を鮮明にしつつ、ターナーのコムニタス論を批判的に援用しながら、世界の革命史を分析し直そうとした人に、竹内芳郎(『文化の理論のために』)がいる。竹内は、コムニタスを、マルクス主義正統派の、未だ近代合理主義の枠内にとどまったままの様々な思考を批判しつつ、カオスとコスモスというキーワードを用いて、ポストマルクスの現代思想である文化記号学の成果の上に立ち、ターナーコムニタス論を捉え返えそうとする。
⚫始原の狂気の補填としての文化――
竹内は、人間を、ホモ・サピエンス(賢い人)≒ホモ・ファーベンス(物造り・労働する人)と捉える、マルクス主義をも含む生産力主義的――多分、こういう表現は使ってなかったと思うが――近代合理主義的人間把握に反対し、ホモ・デメンス(錯乱した人、狂気の人)と捉えるところから出発する。
戦乱による大量虐殺など、動物‐生命一般に比べ、人類の狂気を物語る歴史は枚挙にいとまもないが、近代はその点を等閑視して突き進んできて、今や存続の危機に瀕している。竹内は「野獣の光学」を掲げ、動物の側から人間の狂気を照射しようとする。
本能によって導かれている動物たちにとっては、世界は始めから彼らの欲求に従って整序された秩序ある世界として現れているから、彼らは何も迷う必要はない。ところが本能の確たる導き手を失ってしまった人間、不定形の衝動に背後から突き動かされているだけの人間にとっては、中国の混沌神話が語るように、世界はまずはじめには無秩序の世界、カオスの世界として現れる。
この世界に自分なりの恣意的な秩序を与え、カオスの世界を自己流のコスモスの世界へと転換することが人間の文化の役割である、と竹内は述べる。つまり、カオスな世界をいちいち意味づけることが、カオスの自己流コスモスへの転換=人間による文化だということである。
だから、世界を、そして世界に存在する物事全てを意味づけたいという欲望が沸き起こり、それが何にも増して人間の一番強い欲望となった。今こうして能書きを書こうとしている筆者の作業も、その恣意的な欲望充足の一つに他ならない。
始原にカオスを抱えた人間の文化が作ったコスモスは、失った自然の精妙な節理(ピュシス的コスモス)のミメーシス(模倣)に過ぎず、その極めて粗雑で恣意的な人工的な代替であるため、その始原の錯乱に、つまり魔性に侵食され崩壊してしまう危険性に常にさらされていたので、時々新しい息吹を吹き込み、賦活化し更新しなければならないような脆い構築物だったのである。
⚫コムニタス、それは、能産的コスモスとしてのカオス――
その賦活し更新するための原初のコスモス創造の所作が、コムニタスという、聖と魔を跨ぐ両義的な儀礼だったのである。それは初めて行われたと同じように行わなければならず、既成のコスモスを一端ご破算にして、もう一度原初のカオスに立ち戻らなくてはならない。そのためにその「聖」なる時空は、「能産的コスモス」(自分自身を生み出す力、過程としてのコスモスのこと)としてのカオスであった。
前回見た、スサノオの天津罪の侵犯や、暗闇祭りや筑波山などの境界地(アジール)での乱交、ディオニュソスの秘儀の狂宴こそ、こういった儀礼的な「能産的コスモス」としてのカオスだったのである。
山内 昶(やまうちひさし『タブーの謎を解く』は、このような原点のカオスに戻る国家以前と初期国家の儀礼を、「逆さ儀礼」とか「転倒儀礼」と名付けて論じているので、本編の竹内の議論を見る部分では、この山内の議論(後述するように、山内にもコムニタスへの論及がある)も合わせて検討することになるだろう。
カオスの侵食からコスモスを守るため、かえって自らカオスに立ち返るという奇怪な逆説の時空こそ、コスモスへの反乱としてのカオスが、同時に能産的コスモスとしてのカオス、つまり、文化記号学的に見たリミナリテイ−コムニタスだったのである。
〈祭り〉が、カオスから現出する不安定な瞬間を再構成するものだとしたら、本来性を保った〈祭り〉ほど聖と穢れの両義性を保った、ディオニュソス神的・バール神的狂宴性を帯びたものになるだろう。
そして祭りのもう一つの側面であるヤハウェ神的な聖なる禁欲は、〈創造〉以前のカオスではなく、〈創造〉直後の真新しい秩序に回帰することを求めているのだから、ここでは能産的コスモスはカオスからはっきり分離されているのである。フランシスコ派の清貧は、まさに、後者のヤハウェ神的禁欲のコムニタスの代表であろう。コムニタスにも、狂宴的なものと、禁欲的なものの二種があり、狂宴的放縦型の方がより古く根源的であるが、二つとも、あらゆる時代のコムニタスの基本型となって来た。ユングのグレートマザー(大母元型)にも、愛に満ちて生み育てるマリア的慈母性と、暗闇に呑み込んで支配しようとする山姥性の二つの側面があったが、それと何処か関係しているような気もしている。
⚫革命が反革命に転化するのは宿命か?――
そこにまた、国家−文明成立以降の、コムニタスとしての革命運動も位置付けられるようになる。良知力が、1848年ウイーン革命を(青きドナウの)「乱痴気」と名付けたのは、このような祭りとしての革命の、カオス爆発の側面に注目したからであろう。
革命には、始原のカオスへの回帰の側面と、そのカオスの超克としての始原の人工コスモスへの回帰の側面があると言ったが、以下は竹内が述べていることでは無く、あくまでも筆者の見解だが、革命がしばしば、ロベスピエールのギロチン独裁やスターリニズムのような怪物的秩序に辿り着いてしまうのは、カオスと人工的コスモスという二つの側面の間を揺れ動く、ホモ・デメンスたる人類の、錯乱・狂気・葛藤の歴史の結果であると思えるが、この人間の根源的な狂気性や革命のカオス性に気付けない左翼は、未だにレーニン前衛党論の目的意識的革命論に固執したり、逆に革命自体に反対したりしている。
革命は反対しても起きるときには起きるし、また、いくら組織的目的意識的に起こそうとしても起きるものではなかろう。真っ赤な潮が満ちる時、なくしたものを思い出す」(「黒の舟歌」)ように、天の気が満ちたとき、それは自然発生する。近代革命の壮大な歴史的実験が「失敗」に終わったことを確認できるようになった今、革命というものの根底的な問い直しが迫られている。
筆者は、歴史を、単純な円環的永劫回帰(ニーチェ)としてではなく、弁証法的螺旋的回帰だと見る立場なので、その反省が、歴史の未来に教訓化される日がいつか来ると楽観している。その反省に、コムニタス論がいくらかの役割を果たせるとも思っている。
ターナーが構造と呼んだ人間の文化とは、本能という自然のコスモスを失った人間が落ち込んだ、始原のカオスから脱出するための人工的なコスモス創生のことであったが、それは自然の摂理と乖離しているために、そのまま放置しておけばノモス的硬直化が起きて、カオスの悪魔的力に侵食され、やがて死滅の危機に瀕してしまうような脆弱性を抱え込んでいた。
その危機を回避するために、反構造としてのコムニタスを時々挟んで、その構造を常に更新する必要があった。つまり文化とは、人工的なコスモス構造=社会的規範のことであるばかりでなく、カオスを通して自然を補給する反構造=コムニタスとの、弁証法的な二重構造のことでもあったのである。
だから、革命運動も、能産的コスモスとしてのカオスとして、その人間の文化の必然性の中から、聖性と悪魔性を跨いでその両義性として自然発生してきたのである。かって「浮気は文化」だという洞察深い名言を吐いた芸能人がいたが、然り、結婚も浮気も、平和も革命も、その二重性が文化なのである。
その狭間の反構造性を目的意識的に構造化しようとする革命の多くが国家権力を奪取した後には当初の理想を捨てて反革命化してしまった。これについて先述の山内昶はやはり記号論(学)の立場から、次のように述べている。
「革命は無定形なコムニタスを永続させようとしてその形を変えて行かなければならない。さもないと革命は『死んでしまう』のだった。だからまた、コムニタスを組織化すること、それはいうまでもなく、カオス=コムニタスの緩慢な扼殺――コムニタスをどの程度組み入れるかによって、相対的にソフトな社会とハードな社会の差異があるにしても――でもあろう。コムニタスとは一つには自/他の区別の消滅を意味していた。したがって今ここで一挙に無秩序を理想の秩序として転換、樹立しようとすれば、他の多くの主体を一切扼殺する、弾圧と禁圧のグロテスクな独裁専制が逆に生じて来るだけだろう。実現された革命が理念された革命の夢想への裏切りでしかなかった歴史の皮肉は、ここに淵源していたのである。とはいえ、秩序は無秩序なしに存在できない。決して実現できないユートピアであるだけに、したがってコムニタスの夢は今後も繰り返し現れて歴史を造って行くだろう。」(『タブーの謎を解く』)
実際に、フランス革命直後のロベスピエールのギロチン独裁のように、あるいはまた、ロシアの2月革命ソビエトの圧殺であったレーニン=トロツキーの10月革命(スターリン主義は二次的な問題に過ぎないと筆者は考えている)のように、反革命に転化せざるを得なかった苦々しい革命の歴史の経験を、人類はしてきた。
もし革命=コムニタスが山内の言うようなものでしかないなら、左翼≒共産主義に未来はないということになろう。そこら辺を竹内はどう考えているのだろうか?この回も充分長くなってしまったので、この続きは次回ということにしよう。